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政治家の顔


ある日、滅多に使わない携帯電話が鳴った。
「アンタ、今日は納めの日やでぇー」と叫んでいる。
「大変や、忘れとった!」。
毎月25日は、寺米や地下米(ジゲマイ)、区費などを納める日。
村中の人が、廃校になった小学校近くの公民館に持参する日だ。
小さい頃から、忘れ物をするタイプだったのだが、厄介者と思われているに違いない。
「請求は早く、支払いは遅く」という、会社での忠犬振りがアダになっているのかも知れない。

その公民館には、私だけの楽しみ方がある。
それは、当村(今は「町」)の歴代村長と対面することだ。
そこには、最後の村長でも50年以上前の、古い顔写真が掲げられている。ここで、この時代の時空に浸るという、ややオタク的な楽しみ方である。

極端だが、類人猿から現代人までの、人間の顔の進化の想像もできる。
しげしげと眺めていると興味が尽きない。
昨今の政治家の顔と、この顔写真、ついつい人物評価の材料になってしまう。

歴代村長の顔つきは、渋く深く、昨今のように軽くない。
現代の帝王学」の著者である伊藤肇氏は、人物には弟一等から弟三等まであると解説している。弟一等の人物とは、「深沈厚重」、弟二等は「豪放磊落」、最後は「明朗快活」なんだそうだ。その意味では、昔は第一等の人物が多かったのだなーと、敬愛の目で、その写真を眺めるのが常だ。

昔は、村長になると、ヒト財産なくなると言われていた。
つまり、名実ともに公僕だったのだ。今は、私僕の時代。
心の変化が政治家の顔を変えたのだろうか?
だから、自分自身にも点検が必要だと感じる瞬間でもある。

昨今は、国民のリーダーに接する態度も軽くなったと感じる事が多い。
昔は、村長さんや校長先生宅の前を通る時、お辞儀をしたと聞く。今は「センコウ」「ポリコウ」、父親には、「コラ、オヤジ」、母親には「オイ、バア」になってしまった。

60余年前は、父上、母上という文字が手紙で使われていた事を思うと、「日出づる国の大和民族」の堕落振りは、ギネス並で、そのスピードは尋常ではないように思う。

所詮、人類は、2千年かかってもお釈迦様やキリスト様を超えられないのだから、長期堕落する宿命にあるのだろうか?


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